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酔いどれ話

存在探し

三十数年前、米国で親子三代に渡る黒人奴隷を描いた長編小説、「ルーツ」が大ベストセラーになった、黒人奴隷問題は、米国としては公式に認めたくない建国時の先住民族虐殺と並ぶ歴史の恥部であるが、その後、この小説は、テレビドラマにもなって全米で大反響を巻き起こした。

日本でも「ルーツ」が流行語となり、自分のルーツに関心を持つ人が増えた。 数年後、中国残留孤児の訪日肉親探しが開始され、訪日した人の中には、養父母に慈しみ大事に育てられ教育も受けさせて貰い、成人後には家庭・家族を持って、それなりの社会的地位や財産を築いた人もいたが、その様な人も含めて訪日した人達の共通した気持ちは、「養育してくれた養父母への恩情は感謝しても、感謝しきれないが、どうしても本当の父母に一目会いたい、そして、どのような人なのか知りたい」と。 私達は、自分の出自が判らないと自我がいつまでも安定しないのだ。

私も父親の顔も温もりも知らずに育った、物心が付き、父親のことを聞くと、母親などは、少しうろたえた感じで話を変えたり逸らしたりするので、父親の話題は子供心にも何となく聞いてはいけない事情が有るのだと思っていた。 長じて、父親の事や当時の実情も判明したが、それ以前は、「普通の家庭」が始めからなかったという劣等意識を抱え育ち、青年期になっても、祝福されずに生を受けたという恥じらいの意識が内にこもって払拭出来ず、表層は快活さを演じていても、何時も付きまとうのが、対人関係や異性に対しての気後れだった。 その後、家庭を持ち子供も出来たのだが、常に戸惑うのが子供との関係、私自身が、父親との接触の経験がなかったのが大きな理由なのかもしれないが。 ただ、父母に対しては年を重ねる毎に、男と女の関係として受け入れられるようになった。 今、父母は同じ市内の北と南の墓所に眠っている。
事故や病気で親を失う子供達もいる、また、過去には、戦地や戦災で親を失った多くの子供達がいたが、どうにも抗し難く避けられない明確な喪失の原因では自我が揺らぐ事は無いと思う。 日本でも随分と昔には貧困を背景に、間引き、捨て子、身売り、口減らしのための奉公出しなどあったが、生きる権利や社会保障の充実が口にされる現在でも時々、コインロッカーや赤ちゃんポストへの捨て子など、人間の内なる母性の喪失が問題視されている、また、不幸にも実の親からの心理的、身体的虐待や育児放棄などの様々な理由で、施設や他人の下で養育される子供たちも少なからず存在するが、子供達は、どんなに辛い境遇の中で生まれ育っても常に様々な理由を心の内に作り、生涯を通して親の行為を弁護して自分を責める。

大きな「父親の背中」や温かい「母親の眼差し」を知らずに育ち、自身での親子関係の物語を紡げず大人になり、家庭を築き子供を持った時、どの様に「父親や母親の役」を演じるのだろうか、戸惑えずに子供と向き合えるだろうか。 そして生涯、心の内で広い背中や優しい眼差しと温もりを捜し求めるのだろうか。

♪Tracy's theme (tema de tracy) - FAUSTO PAPETTI
♪Suicide is Painless (M.A.S.H Theme)

 

旅立てジャック

1964年の春、決別したつもりで故郷を離れた。 ときめきに心躍らせ車窓を流れ去る風景を見詰める僕に、四月の陽光がきらきらと眩しかった。その頃、レイ・チャールズの歌声があちこちで流れていて、郷里を離れる日を想像する度に、何時も脳裏に浮かぶのが、走り去る列車と心浮き立たせる「旅立てジャック」のメロディー。そう、夢想が現実になったのだ。

気の良い同窓生の好意に甘えて、彼の住処に転がり込んだのだが、時々は気兼ねして、アルバイト先や他の友人の下宿やアパートで寝泊りの世話になった、学び舎は繁華街、憬れていたコリン・ウィルソンの小説「暗黒の祭り」の主人公、ジェラード・ソームが送る知的好奇心に満ちた無頼だが充足した日々を気取って、コーヒーにジャズ、本の立ち読みと映画館、新宿の街の彷徨に安酒。
 オリンピックの開催の前年から強化されていたのが愚連隊廃止条例、オリンピックの開催期間中だけでも外国向けに清潔で安全な都市を装いたかったのか、繁華街でブラブラしている若者への職務質問が多くなり、定職を持たない若者達には特に容赦なく厳しかった、通りの角々に警察官の数が増え、殺伐とした空気が巷に流れていたが、まだその頃の新宿には、多少、生々とした充実感に心高ぶる刺激とアナーキーだが芸術の香りがしていた、毎日の生活が同じように怠惰に過ぎると、期待していた青春の日々の彷徨感は段々と薄れて来る。

郷里で付き合いのあった、M会の鉄砲玉のKの紹介で付き合いが始まったのが、I組の親分の息子とその取り巻の連中、彩るように群がる俳優の卵や新劇の女優に若手の芸人等、馬鹿騒ぎと酒にマージャンなど、自堕落で荒れた日々を送るようになる。
 その後、I組の大物幹部に、「将来は好い若い衆になれる、俺の所で暫く修行しないか」と見込まれたのだが、振り切り逃げるように、オリンピックの選手村のアルバイトの出向いた、多分、色々考えて少しの間でも彼等と距離を取りたかったのだ。

アルバイトで稼いだ金を持って行った先は、選手村で知り合った関西から来た学生に誘われた京都に奈良、古都の巡礼を気取って古寺を廻る日々を過ごしている内に甦って湧いてきたのが、「旅立てジャク」で昂揚していた日々の記憶。 その後に戻った関東圏でも東京を敬遠して、あちこち住居定まらぬ日々を送るようになるのだが。

揺れ動く青春の日々を思い出す度毎に、赤面と恥じらいが生じる、同時に、なんとなく、帰らざる日々の懐かしい気分に浸りたくなる。

♪Hit the road Jack!
♪Dave Brubeck Quartet - "Unsquare Dance"

銀幕スターとシリーズ映画

このところ、往年の銀幕スターの訃報を度々耳にする。 大衆の娯楽の王様、映画の黄金期と呼ばれた1950年代、スクリーン越しに活躍した遥かに遠い存在のスター達は、戦後の我々の生活に潤いと彩を与え、着物、服装に髪形や流行り言葉に流行歌と、巷に明るさと華やぎをもたらせた、また、明日への生きる活力や喜びを大写しに体現して、共同の幻想を紡いでくれた。

初めて異性を意識し恋心を抱いたのも銀幕のスター達だったと、身に覚えのある人も多いと思う。昔懐かしい映画を再び観たり、主題歌を聴いたり、歌ったりすると、ほろ苦さと甘酸っぱいあの青春の時代の断片的な思い出が舞い戻ってくる。

映画会社それぞれは、観客動員数を見込める専属契約の人気俳優を抱えて、時代劇に現代劇、喜劇にお涙頂戴、文芸物からアクション物まで、年間夥しい本数の映画を製作していた。また、舞台俳優に歌舞伎役者や人気歌手がフリーの立場で主演や助演で活躍する映画も数多く見られた。

人気俳優によるシリーズ映画の製作は、観客の要望や期待もあっただろうが、各映画会社にとって、ある程度計算できる観客動員に興行収入が見込めるのが魅力だったのだろう、当り役が定着した俳優は、役そのものがイメージと重なって思い出に残っている。

当時話題の人気シリーズ映画を列擧してみると、戦後すぐの、「鞍馬天狗」、「丹下佐膳」を始め、「銭形平次」、「旗本退屈男」、「探偵 多羅尾半内」、「座頭市」、「悪名」、「兵隊ヤクザ」、「眠狂四郎」、「社長物」、「駅前物」などなど。

勿論、各映画会社は、潤沢な興行収入を基盤に、日本を代表する大物監督による内外の映画祭でも賞の候補に挙がるような文芸作品や長編大作も製作した、また、興業的には未知数でも将来期待の有望新人監督達には、野心的な話題作の発表の機会も提供していた。

テレビの急速な普及で観客動員数が大幅に減り、映画の斜陽化が叫ばれ始めた頃でも、引き続き制作されたシリーズ物が、「若大将や仁侠映画」に過激で暴力的な「青春物やセックス物」、長年続いたのが国民的人気の「寅さん」、そして、終焉は「釣りばか」か。
シリーズ映画の観客は、似たようなストーリーでのマンネリ化は織り込み済みで、それよりも安心して暗闇に身を委ねてスクリーンを楽しんだのだろう。 今後、多くの観客が映画館に足を運ぶシリーズ映画が邦画界に生まれるのだろうか。

ある人が、「過去の映画は、見なおすたびに同じには見えない、見る人の方が、変るのでしょう」と、言っていた。

♪colonna sonora "sedotta e abbandonata"
♪Melina Mercouri - Ta pedia tou Pirea

私達の良心

私達は盲目的に心の中で良心を選別、選択しているのではないか。

例えば過去に、ベトネム戦争での米軍のソンミ村の虐殺を糾弾しても、北ベトナムのユエ村での南ベトナム政府の協力者の虐殺には沈黙を守った人達の良心。 国家権力の反政府主義者への弾圧やリンチには声高に反対を叫ぶが、反権過激派の権力に対する暴力、派閥間での闘争や内部でのリンチ事件を容認した人達の良心。 天皇制反対を心に隠して、元号制定の反対を叫んだ人達の良心。 普段は常識的で善良な市民が関東大震災の折、「朝鮮人暴動」のデマを信じて、罪もない朝鮮人を虐殺した人達の良心。 善良なキリスト教徒のユダヤ人への差別や残酷な迫害の長い歴史は、彼等の良心の平穏と満足のためだったのだろうが、過去のユダヤ人への大量虐殺の贖罪や反省と現在のユダヤ人のパレスチナ人への制圧と弾圧の狭間で揺れ動いている彼等の良心。 反核兵器署名運動の左翼運動主催者達が、アメリカの軍備増強に危惧を表明しても、旧ソ連の対ヨーロッパのミサイルの配置には言及しなかった彼等の良心。

私達が日頃見聞きする、マスコミや評論家の揺れ動き、定まらない偏向的な報道や評論は、その時々の彼等の選別的、選択的良心からではないか。 反原発を明言した菅前首相を一斉に声を上げて叩いたのは、政、財、官にテレビや大新聞のメディアだが、その後の世論の動向や推移に、顔色を伺うような表現や論評を出し始め、今では、表向きには、反原発運動の容認や擁護を認めている彼等の選別的、選択的良心。

反原発を声高に訴える人達の良心も、果たして甘受している現状の生活を変える覚悟があるのだろうか、また、脱原発に向かうにせよ、原発停止が最終目的ではなく将来に於ける廃炉や核燃料の処理の方法の研究者や技術者が原発関連の仕事に残ることが重要であるし、優秀な人材を育てる環境を確立することが必要である。 原発稼動を推進する立場の人達の良心も、全国に置かれている使用済み核燃料のことや原発の危険性や将来性について言及せずに、国家の意思として十分な安全対策を行って再稼動するなどと抽象的な言葉を繰り返し、「少資源国、地球温暖化、経済の低迷、停電による病院の事故や中小企業の倒産」等、事細かに並べるのみである。

選んだ良心の行為を見つめ直し、その良心が最も非良心的な行為にならぬよう自戒せねばと思うのだが。

♪Jose Feliciano - Moliendo Cafe
♪Joe Morello:Take 5 Drum Solo

活字と時間

「若者の活字離れ」が言われて久しい。調査では、若者家庭の20%位が新聞を購読していないらしい。経済不況も一因だろうが、携帯やパソコンの急速な普及もあるのだろう。昔も、若者や学生は、経済的理由で新聞までに生活費を廻す余裕もなく、主に、下宿先や学校や仕事先、または、時々利用する食堂や喫茶店などで読んだものだ。また、テレビなど見る機会も少なく、せいぜい深夜に聞くラジオや他の活字媒体を通しての情報や知識が主だった。
現在は、携帯やパソコンを見る時間が増え、本や雑誌や新聞に廻す時間を奪ったのだろうか。刻一刻、テレビなどから内外の様々な情報が溢れるように流れて、それを消化して吸収するには多くの時間が必要なのだろう、また、大雑把にでも情報を知ることで心を安定させるには、どうしても情報の判断が断章的にならざるを得ない。 電車の中の風景も随分と様変わりした、乗客の手には、新聞や雑誌や文庫本に代わって携帯が目に付く、多分、追われる様に断章的な情報を取り入れているのだろう。

今の人は、予定表に余白があるのが不安なのと時間を持て余すのが苦手なのか、次から次へと自分の行動を設定して行動するようだ。 また、活字を読むのに充分な時間を懸けられないのか、売れ筋が、今日的話題性豊富な本やすぐに答えを求めるハウツー物では、少し淋しい気がする。

深沢七郎が、若者へ贈る言葉として、「何もするな、色々と考える時間を持て、本も音楽も映画も恋も、そして学問さえも忘れる時間を少しでも持て」と。

♪chet baker You And The Night And The Music
♪Nancy Wilson - CASABLANCA

なでしこ賛歌

子供の頃、「戦後、女と靴下は強くなった」と、好く耳にした。確かに戦後、高価で破れやすい絹の靴下に変わって、強度で廉価な人口繊維の開発が成功し、ナイロン靴下が大量生産されるようになり主流になった。また、戦後の苦しい生活を支えるためや戦争で失った男性の労働力を補うために女性の社会進出が盛んになった。

戦前、幸徳秋水や堺利彦等の「平民社」運動と共に、進歩的社会主義運動家の女性達を始め、歌人与謝野晶子や「青鞜」の平塚らいてうとその同人等が女性の社会進出や地位向上を声高に永らく社会に訴えていたが、日本でも戦争直後の1945年に、イタリア、フランスと同時に20歳以上の男女の参政権が認められた。1925年には、25歳以上の男性のみの参政権が認められていたが、二十歳以上の参政権が認められたのは男女共に同時期である。自由民権の本家のフランスに比べても日本女性の参政権は、短い期間で認められたのである。

長年、日本女性は弱い立場に置かれ、人権や地位が虐げられていてとよく言われるが、戯れ歌で、「日の本は 岩戸神楽の昔より 女なしでは 世の明けぬ国」と謳われるように、大八州、瑞穂の国、神州、日の本八百万の神の筆頭は女性神で太陽神でもある天照大御神。邪馬台国の女王卑弥呼を始め、7-8世紀には何人もの女性天皇が国を治めていた。殿中の女房の語り物を、仮名文字の普及で文学に高めたのが、紫式部に清少納言。女丈夫は、巴御前に北条政子と日野富子。芸能の祖は、出雲の阿国。良妻の鑑は、山内一豊の妻。恐妻は偉大な哲学者や文学者を育むと言われるが、外国ではソクラテスやドストエフスキーの妻、我が国では文豪夏目漱石の妻。

男性の女性遍歴は男の甲斐性と言われ、奔放な恋多き女性は淫乱と蔑まされるが、江戸中に艶名を高くしたのが、江戸歌舞伎の役者、三世坂東三津五郎の妻で義太夫節の竹本小伝、間男三昧を尽くして「塩梅よしの小伝」と謳われ、忠臣蔵の47義士ならぬ、47名の間男の名前と共に前代未聞の間男番付も刊行された。

戦前、まだ姦通罪もあった男尊女卑の時代、騒がれて大きな社会問題になっても女性の人権や尊厳と自由を護るために命がけの道ならぬ恋を貫いた女性達がいた。大正天皇の従妹で大正三美人の一人と謳われた歌人の柳原白蓮は、政略結婚で九州の炭鉱王に嫁いだが、良人の女性問題や複雑な家族関係に悩み歌を通じて知り合った宮崎箔天の息子龍介と駆け落ちして生活を共にした。

歌人、評論家、女性解放思想家として名高い与謝野晶子は、「明星」の創刊者で近代浪漫派の歌人、与謝野鉄幹の許に三度目の妻として嫁ぎ6男6女の母となる、その後も、エネルギッシュな創作や思想活動を通じて多くの女性に影響を与えた、処女歌集「乱れ髪」が有名だが、女性解放誌「青鞜」の創刊の折に寄稿した詩の冒頭の言葉「山の動き日、来たる」は、後年の社会党の躍進の折に、土井たか子が「山が動いた」と、一声した。

結婚制度の否定、女性の参政権や労働運動、廃娼、人権を声高に訴え、「青鞜」の編集者でもあった伊藤野枝は、アナキズム運動の中心人物の思想家で、「美は乱調にあり」の作家でもある、大杉栄と恋仲になり生活を共にして無政府運動に携わっていたが、戒厳令が布かれた関東大震災後のドサクサ紛れに、大杉栄や甥の橘宗一と共に憲兵隊に連行され、甘粕大尉等に扼殺された。

本邦には、敬愛すべき女性達が慈悲と強靭な精神で生きぬいた様々な足跡を歴史上に数多く残している。1960年代には、ウーマン・リブ活動が世界中に広まり、日本でも社会のあらゆる場に活動的な猛女が数多く見られ始めた。1970年代には、日本各地でウーマン・リブの集会が開かれ、政治、社会、経済、文化の現状を批判して、女性を拘束しているあらゆる場からの開放を訴えた、ピル解禁を要求して過激で目立ったピンクのヘルメットの「中ピ連」が声高らかに宣言したのが「抱かれる女より、抱く女になろう」と。
欧米のキリスト教文化に根ざす父権社会の流入に対して、日本女性は表層では男性を立てながらも、内実には社会や家庭の中心に君臨して、有史以来の限りなく優しい母権社会を、今でも強力に継続している。

♪Vivre Sa Vie - Roger France 女と男のいる舗道
♪女王蜂/サントラより

 

文化の比較

時々、生活の幸福度や満足度、仕事や国家に対する誇りなど、国際間での価値の比較調査が行われる。調査結果を見ると、日本人は欧米諸国に比べて仕事に対する誇りや満足度が非常に低く、家庭生活などを含めて全てに不満足、不充足に見える。

仕事に誇りと満足度、そして、家庭にも高い幸福度を示す欧米人の多くが、不思議に思い指摘するのが、「日本人は、家庭生活の満足度が低いのに離婚率は高くなく、日本の経済活動が国際間で高く評価されているのに、仕事や国家に対する誇りが低い点である」と。ただ、このような調査に対して、日本人は、「国や仕事に強い誇りを持っている」や「家庭生活に満足している」など、心に強く思っている人ほど口にしないだろう。

宗教意識でも、大抵の日本人は、「先祖を祀る菩提寺には、お盆やお彼岸の墓参り、時折の法事などで行くけれども、寺の宗旨には関心がないし、どちらかと言うと無心論者に近い」といった返事をするので、外国人から見る日本人の宗教意識は、はたして強いのか、弱いのか分からないと思われるようだ。 学校や役所の休日が日曜日で、キリスト教暦を使用する日本人の多くは、キリスト教徒だと思っている外国人や、国民の八割が元旦に神社に初詣に行く日本人は、とても宗教心に厚い民族で、国教は神道と思っている外国人もいるようだ。

日本人は、相手の立場を思いやり、自己の主張を抑えて友好的な協調を求め、表面的には対立や齟齬を避けるが常識だと思っているが、お互いの自己を主張し合って最終の合意点や一致点を求めるのが欧米人の常識のようだ。 日本人の和を基にした「相手の譲歩も期待する互譲の精神」と欧米人の「相手が譲れば、より強まる自己主張」では、双方の理解が進むのがなかなか難しい。 日本文化の和を尊び、多くの人の意見に従う行動指針は日本人の原理であり、一神教を文化基盤として自己を主張する行動指針は欧米人の原理である。 また、日本人の内面には日本文化はユニークだと誇る優越意識と欧米文化に傾倒している劣等意識を合わせ持っているところがある。

お互いの歴史のなかで育まれ続いた様々な文化意識や価値観の相互の理解は、非常に難しく、時々、双方で誤解を生じさせている。 例えば、エルサレムを紹介する日本の観光番組で、「エルサレムは三大宗教の聖地である」と解説しているが、三大宗教は、それぞれの教義を基に自己の立場を主張して、エルサレムを他の宗教の聖地とは認めていない。 また、日本人には理解が難しいのが法律よりも宗教戒律を優先して、それを心の拠りどころに日常の行動規範や道徳の基にして生活している外国人であろう。

異なる文化や宗教を持った国々とそこに生活をしている人々、どの様に互いに認め合うことが出来るのだろうか。

♪Italiana - Aylin Prandi
♪甘いささやき(訳詞付) / アラン・ドロン & ダリダ

自然と科学

シェクスピアー別人説で名高い、フランシスコ・ベーコンは、「科学技術で自然を支配することは、人類の永遠のテーマである、人類が自然を征服するには、自然に服従することだ」と語っていた。どんなに科学技術が進歩しても、人間が自然に支配されるという運命は変えることは出来ないと。
化石燃料を燃やし、原子を破壊し、新エネルギーを生産して産業や生活に利用することや、遺伝子組み換え操作などで作られる新しい物が産業や医療に変化をもたらしているが、地球温暖化での集中豪雨や旱魃、異常高温など、自然からの人間に復讐してくる未知の災害も否定できない。

1971年に廃棄物規制法が制定され、それ以前の高度成長後期に、おびただしい数の公団、公社住宅、民間の集合住宅や個人住宅が都市郊外に建てられたが、その地下には、大量の産業廃棄物が埋められたはずである。新興住宅、道路、駐車場、河川敷、港湾の埋め立て地、干拓地、空港などに埋められた産業廃棄物の存在は、建設会社や土木会社知っているはずである。

産業廃棄物の土壌汚染は、将来にどの様な問題を生み出すのだろうか、築地の魚市場の移転先の土壌にも問題が表れたが。

経済界は、日本の現状を「経済一流、政治は三流」などと言うが、「経済人一流」とは、とても言えない。銀行、証券会社、大企業の不祥事など、企業組織の繁栄と継続のみを考えて、社会的責任や倫理が忘れられていないだろうか。 今回の原発事故にも、伺い知れるが。

♪Stranger In Paradise(Caterina Valente)
♪Silvana MANGANO - ( ANNA ) El Negro Zumbon 1951

原子力開発

朝鮮動乱で息を吹き返した戦後の日本経済。高度成長の名の下に様々な公害問題がこの狭い日本列島に次々と引き起こされた。産業公害による健康被害を訴える住民運動や公害訴訟、反公害キャンペーンが革新政党や労働、学生運動を先頭に声高に沸き起こった。

その後、日本経済の成長や安定にともない公害運動は下火になり、官庁や学者からは、「産業公害は既に解決済みで、予測される公害は、十分な対策がたてられ、これからは無公害開発です」とか、「現在の科学はすでに公害を先取りして解決ずみです、公害運動は、住民達の見えざるものに対する怯えや一部の扇動者に煽られた大企業への不信感から生じた」など。

原子力開発は、政治、経済、そして科学が複雑に絡み合う。(何故、筑豊をはじめ、全国の石炭産業が国の強引とも言うべき政策で衰退し消えたのか、今でも謎だが)。

今回の福島原発の事故の影に、何十年も前に騒がれた巨大な利権をめぐる、内外の政治勢力、大企業が操る原子力産業、官僚の暗部を見る。思い起こすのは、70年代に起きた福島原発の火災事故や関電美浜の燃料棒の溶触事故、電力会社は、起きた事故を出来るだけ秘密裏に処理し、事実を隠蔽しようとした。

当時の有識者は、「何でも秘密にしてしまう姿勢が、国民に疑惑を生み、原子力産業の未来の発展のためにも宜しくない」と言っていた。また、「電力会社の言う無事故とは、事故を起こさないことではなく、事故を外部に漏らさず、もみ消すことだ」と言われた、今でも、電力会社に対する疑惑、危惧は消えない。

震災による目を覆う惨状がテレビ画面に次々と映しだされた、何とも形容できず言葉も無く見詰めるだけだった。被災地の人々は、大津波で受けた物的、精神的なダメージと余震の恐怖の中で悲しみをこらえて整然と行動している姿を見るにつけ、本当に頭が下がる思いだった。

その後、すぐに日本各地で見られたのが、給油待ちの車がガソリンスタンドに長々と並び、人が溢れたスーパーでは棚から物が消えた。思い出すのは、1973年の世界を襲った石油危機、トイレットペーパー、洗剤、砂糖などが店頭から消えてしまった。後に、石油は前年の17~18%も多く輸入されていたことが分かり、そのパニック状態は、どうも、当時の通産省が煽った情報が源で起きたらしい、また、「近い将来、石油供給量が減少する可能性が十分あり、代替エネルギーを考えねばならない」と世論を誘導したようだ。

確かにアメリカなどの大国は現在でも、金融、軍事力、エネルギーで世界支配を考え、特に核拡散を叫んで、中、小の国が原子力を持つことに何時も神経を尖らしている。

1979年に第2次石油危機の到来を予測して、アメリカなどから、日本の石油消費量は、全エネルギー75%と石油依存度が他国に比べて高いことを指摘され、一部のエネルギーを石炭へと転換政策を求められた(すでに日本の石炭産業は終焉を迎えていたし、アメリカは石炭の鉱区を国の内外に持ち、世界一の石炭産出国で日本に買わせたかったようだ)が、この石油危機もアメリカに仕組まれたものだったのか?

日本の石炭産業の急速な衰亡の原因は、アメリカの経済戦略だったのだろうか。

政府と官僚が誘導、教宣したのが「自立した日本のエネルギー政策」と言う、石油やLNGに原子力などの多角化政策だった(当時は、まだ太陽熱や風力は実現されても小規模だったが)。その頃、頻繁にテレビで目にしたのは、総理府提供の「原子力はクリーンなエネルギーです」のテロップ、このままでは、近い将来に石油は枯渇すると喧伝して意図的に流したのだと思う。唯一の被爆国の日本では、原子力と言うだけでも、強い拒否反応が起きたし、狭い島国の海岸線に並ぶ原子力発電所の未来図には、将来起きるかも知れない原発事故の不安が付きまとう。反対運動は、公害問題として、温排水の生態系の破壊の有無や漁業への影響、住民の健康と安全を求めていた。行政や政治への不信を招いたのは、原子力産業を巡る様々な生臭い情報が飛び交ったことによる、例えば、原子力発電の一基あたりの値段は、300億とも500億とも言われて、その一部の金が政党に、そして、地域経済振興の名目で多額の金が、政党から地元に落ちたと騒がれたことや多くの大企業、特に戦後、息を潜めていた旧財閥系が原子力産業を復権の梃子にと力を入れ始めていたことなど、また、時の防衛大臣は、「原子力船「むつ」の建造の後は、原子力潜水艦だ」と発言して、官民揚げての原子力産業推進を印象づけた。

水素爆発を起こした東電福島一号炉(BWR型)は、当時から重大な欠陥があると言われていて、アメリカで、緊急時に炉心に冷却水を送り込むパイプにヒビ割れが発見され、同じBWR型の全炉の停止命令が出されたことがあった。70年代に起きた、東京電力福島2号炉の火災事故、関西電力美浜1号炉の燃料棒浴触事故なども電力会社は出来るだけ事故の報告や情報を隠蔽しようとした。その後、スリースマイル島やチェルノブイリ原発事故が起きて、改めて原子力エネルギー恐ろしさを世界が知った。
核問題が最初に人類に示されたのが、1945年に広島、長崎へのアメリカによる原子力爆弾の投下であった。原子力の平和利用を謳い、クリーン・エネルギーを旗印に、世界から安全性が認められていた日本だが、今回の事故が原子力を推進する他国から、再び注目を浴びている。

♪安藤昇/黒犬
♪情事のテーマ

エンディング

クリスチャンで高名な女性小説家の本が売れているようだ、何気なく見ていたテレビで耳にしただけなので、本のタイトルも内容も知らないが、どうも、高齢者の最後の身の処し方を書いた本らしい、多分、御自身は強い信仰心に伴う終末感で死の恐れを克服するのだろう。

先ほど亡くなった男優が生前に、「末期ガンで余命半年と医者に宣言されたが、延命治療をせずに最後を迎えたい」と、マスコミ取材に応えていたが、役者特有の自己顕示と自意識で選んだ、御自身の最後の舞台の演目のだろう。

流行り言葉の断捨離も人生や日常生活の不要なモノを整理して身軽になり、人生の終焉への準備を始めよと、言う事なのだろうか。

昨今の不安定な政治や経済不況に加え、3.11の大震災や原発問題が多くの人達に、自身の生と死を改めて考える時間をもたらせたようだ。

打ち続く戦乱や天災に飢饉と疫病で人心が乱れた鎌倉の昔、厭世観と無常観溢れる書き物に記されているのが、虚飾を剥いだ侘び寂びが理想とされた簡素で質素な居住まいの日常、その時代の民衆が、現世の救いと平穏な極楽浄土の来世を求めたのが、全ての人への救済を約束していた、この頃起きた新興仏教、何となく、今の時代と同じような空気を意識するが。

近頃、耳にする過酷で悲しいニュースは、福祉を食い物にするビジネスやオレオレ詐欺などの高齢者を狙う犯罪の増加、日々の食事にも事欠き万引きや置き引きなどに手を染める高齢犯罪者問題、取り残されたような過疎地や都会の片隅に生きる高齢者が人知れずに迎える孤独死問題。連日聞こえる、年金、医療、福祉の財源不足の話は、戦前の「生めよ、殖やせよ」の国策で出生し、戦後の食糧不足や貧困生活に劣悪な教育環境の中で育ち、高度成長期を支えた一時期には、「金の卵」と持て囃された人達の昨今が、社会お荷物のような存在に聞こえる。

功なり遂げても晩節を汚す人もいる、金権政治家、高級官僚の収賄事件、資産家の脱税、悪徳商法など、酷い例は、サリドマイドやスモン事件の責任者だった元厚生省の高級官僚が、製薬会社の社長に天下り、利鞘の大きい非加熱製剤を売り捌いてエイズを広めた薬害事件を起こしたことや元防衛省の高級官僚が、女房共々に防衛産業の企業団体からの供応を受けて、蔑まされた事件など。

今、それぞれの高齢者が自身の生を振り返り、そして、どのような自身の終焉を考えているのだろうか。

♪枯葉/イヴ・モンタン
♪Bittersweet Samba - Herb Alpert and the Tijuana Brass

1964年のオリンピック

今年は、オリンピック年、開催都市はイギリスのロンドン、日本でも様々な競技の代表選考会が行われ始めている。国の代表としての誇りと日の丸を胸に、オリンピックの晴れ舞台に参加することが最終の目標と定めている競技者は多いと思う、いつの時代でもオリンピックは、「美の祭典、若者の祭典」なのだ。

1964年(昭和39年)の夏、某レストランが募集したオリンピック選手村の食堂でのアルバイトを知り興味と条件の良さに引かれて応募した。運よく採用された僕は、八王子の自転車競技場選手村へのグループに振り分けられた、他の何人かは、相模湖のボート競技場選手村に派遣された、開村の1週間ほど前、大勢の人達と共にチャーターバスで、八王子と相模湖に送られた。家から通えぬ選手村で働く人達の宿舎は、売春防止法で転職した元遊郭の数件の連れ込み旅館が確保されていて、僕等の同宿者は一緒に食堂で働く全国から募集された20名ほどのコックさん達だった、選手村と競技場は市の郊外、大正天皇陵の近くで、当初、僕等の問題は街中からの交通手段だったが、やっと開村後に無料の送迎バスが運行されるようになった。

競技場の新設や補充に選手村の建設、幹線道路の整備に高速道路の建設、新幹線の就航などが急仕上げに整ったが、内外の観戦客に備えての宿泊施設や交通手段の拡充などは、まだまだ十分ではないようだった。

敗戦後19年、東京オリンピックは、戦後復興の総仕上げの国家事業として、官庁をはじめ、様々な企業が協賛し、参画していた。開村式で知ったのだが、選手村には多様な職種の人達が働いていた、村長を筆頭にした村の管理運営者、コンパニオン、警察、警備、消防、国際電報電話、郵便の出先機関、銀行、診療所、選手団の世話と通訳、宿泊施設の清掃に洗濯施設、八王子のデパートからは土産物と日常品の出店、清涼飲料水メカー数社のサービスカウンター、交通宿泊の手配や観光案内、隣接する競技場の整備、管理、警備に清掃、などなど。僕等も選手団や村内で働く人達と挨拶や短い会話を交わすようになると、自然に打ち解けて、身近にオリンピックの雰囲気を日々味わっていた。

選手村の食堂には、管理運営に連絡や物資の調達手配の社員達が詰めており、調理場では、コック長とその部下の采配の下、全国から集められたコックさん達や近隣から応募した人達が、それぞれの持ち場で働いていた。僕等5人の仕事は、食堂での選手団の世話や食卓の整理整頓とカウンターに並べる料理や飲み物の管理が主だったが、最盛期には人手が足りず、炊事場の皿洗いやトラックから食料品を運ぶ作業なども手伝った。くつろぎ楽しむ食堂を利用出来るのは選手団に限られ、彼等に好評だったのは、自由に選べるカウンターに並べられた豊富な品数の様々の国の代表料理の味とボリューム。

自転車競技といえば、競輪しか知らない僕等が驚いたのは、海外での自転車競技の人気の凄さに参加国、選手、報道陣の多さだった。競技場の板張りの走路をオートバイに先導され疾駆する練習風景も目新かったし、多種にわたる本番の屋内競技やロードレースでのスピードや持久力と計算された頭脳的な駆け引きにチームワークが大変に興味深かった、僕等も競技の面白さに魅せられ、時間を見つけては交代で競技場へ足を運んだ。

開会式の式典は選手村のテレビ中継で見たが、各国の代表選手の健康的で高揚した表情や堂々と行進する姿に彼等と同時代を生きる感動と歓びを覚えたのと同時に、大国のイデオロギー政策で南北に分断された、ベトナムで戦う若き兵士達と戦時下の祖国を生きる、ベトナム国民、彼等は束の間のオリンピック休戦期間の平和をどうように味わっているのだろうかと。オリンピックもまた、平和の美名の下で競う大国の威信をかけたメタル戦争なのだろうか。

東京は、再度のオリンピックの誘致に名乗りを上げている、開催が実現した頃の日本では、現在抱えている国の諸問題はどうようになっているのだろうか、そして、世界は。

♪Ray Charles 'What I Say' 1964
♪SEXY TWIST

地方を考える

急速な近代化政策による日本の西洋化、資本主義化、都市化、工業化、中央集権化などが、家族主義や村落協同体の崩壊を招き、新たな日本の危機的状況を生み出した。
地方の町や村に暮らす人々の生活を疲弊させたのは、車社会の出現と膨張に加え、新幹線や高速道路で切断されて高度成長経済の掛け声ともに奪われた様々な生活の場所、カドミウムなどの工業汚染や原子力発電所の建設などが原因で衰退した農業や漁業に地場産業。

今、地方が病んでいる。アメリカ型思考の経済政策や少子高齢化が拍車をかけて、より地方を疲弊させている。政府当局や地方自治体、それを支える支配体制側の知識人は、知っていても目をつぶっているのか、彼等の対応は、個々の問題の処理に終わり、国全体の病と捉えてない。また、地方自治体の権力者のなかには政治を私物化して、利害関係を結ぶ業界団体と共に利権に走り、地域の文化や歴史をないがしろにして、衰亡に拍車をかけている。

最近、日本の中央集権的な反省からか、地域主義を唱える人達が声高に、「一定地域の住民が、その地域の風土的個性を背景に、その地域の協同体に対して一体感を持ち、地域の行政、経済の自立や文化的独立性を構築する」と。ただ、この人達の理論も、「日本は、遅れている、地域主義は既にイギリスなどで行われている」と言う外国仕込みの理論である。

体制側に寄り添い日本の状況をリードしてきた人の多くが、優越性を誇示して欧米知識を紹介し、導入してその地位を得た、昨今の行き過ぎた規制緩和政策が良い例だ。

地震、火山列島に住む日本人は、過酷で容赦の無い自然と折り合いながら独自の文化を作り上げた。地域文化はその土地々の自然風土に育まれ生まれたのだ、いたずらに欧米を追従することなく、今後の日本や地方には何が大切なのか、今回の地震災害や原発事故で考えさせられた。

♪Minor Swing - Barney Wilen
♪Dave Brubeck "Besame Mucho"

流行りもの

江戸の昔に、吉原辺りの女性達が使い始めた「ほんに、ばからしい」、「おや、ばからしい」と、やたらに「ばからしい」を連発する流行り言葉が江戸中に広まった、今でも、常日頃使われているので、その後は日常語として定着したのだろう。

今年の流行語大賞は「なでしこジャパン」で決まったが、近年の流行語は昔に比べると随分と小ぶりですぐに廃れるようだ。 流行り言葉は、俳優、歌手、スポーツ選手達の使う決め言葉や口癖、話題になったテレビ、映画、小説のタイトルや政治家の公約や演説、若者の間に広まった風俗などが、様々なメディアで喧伝され、造語化されて広まるのだろう。

近年、日常的に使われ広まった流行り言葉に、石原裕次郎の「イカスにマブイ」がある。 「イカス」の語源は、どうも、女性を性的に満足させる「イカセル」からで、魅力的とか格好が良い、の意味に使われたようだ。「マブイ」は「眩しい」から か、「マブイ女」とは眩しいほどに光る女なのだろう、言葉が流行った頃の女性達の多くは、地味な服装に素顔に近い化粧だから、「マブイ女」とは本当に眩し く光る原石で将来はダイアモンドと思われたのだろう。 加山雄三は、湘南のジャンジャン言葉と「ヤバイ」だ。「いいジャン」とか「やるジャン」などの言葉は、今では湘南以外の地域でも広く使われている。「ヤバ イ」は日常語として全国的に認知され、多くの女性達も気軽に使っているが、もともとは、不良達が粋がって使うやくざっぽい言葉だ。

仲間内での遊び言葉では、伴淳の「アジャパー」、渥美清の「それを言っちゃー、お仕舞いよ」、植木等の「お呼びでない」、谷啓の「ガチョーン」な どがある。 テレビの急速な普及で、その時々の流行り言葉を毎日の様に耳にするようになり、また、関東圏では馴染みの薄かった関西言葉も身近に感ぜられるようになる。 小説のタイトルでは、石川達三の「48才の抵抗」からの「抵抗族」、人生のたそがれを目前にして、何ものかに抗う人々の悲哀を感じる。三島由紀夫の「美徳 のよろめき」は、「よろめきドラマ」や「よろめき婦人」の言葉を生み、似たようなテレビドラマが主婦のゴールデンタイムの午後の2時頃に民放各社で放映さ れた。「よろめき」の言葉の響きは、主人公の揺れ動く心やどうにも抗えない悲しい人間の性を感じるけれど、「不倫ドラマ」の「不倫」では、世間様から様々 の理由で生じる主人公の言動や行動が冷たい視線と共に、問答無用と切り捨てられる。太宰治の「斜陽」は、「斜陽産業」などと、よく使われている。

女性ファッションでは、原田康子の「挽歌」が映画化されて、主人公の着るコートスタイルが「挽歌スタイル」と呼ばれた。ラジオの放送時間に銭湯の女風呂をガラガラにした、菊田一男の「君の名は」の映画化では、岸恵子が頭に巻いた「真知子巻き」。 伊映画「芽生え」のジャクリーヌ・ササールの着た「サックドレス」。フランソワーズ・サガン原作の仏映画、「悲しみよ こんにちは」からは、ジーン・セバークのヘアスタイル、「セシール・カット」。

男性に流行らせたのが、伊映画「太陽の下の18歳」の男優達が胸元を飾っていた、「アスコットタイ」。「007」シリーズからは、ジェイムス ボ ンドの「黒の棒タイ」。石原慎太郎、裕次郎兄弟や日活の俳優からの影響で、「アロハシャツとマンボズボンに慎太郎刈り」。他にも、その時代を代表する内外 の映画俳優に影響され広まった様々な流行ファッションあるだろう。 また、子供を含めて大流行したのが「だっこちゃん」と「フラフープ」。若者風俗からは、「モボ・モガ」、「戦後派」、「愚連隊」、「太陽族」、「六本木 族」、「ミユキ族」、「タケノコ族」、「カミナリ族」、など。政治家からでは、「私は嘘を申しません」と「列島改造論」が有名だ。

私達は時代を問わず、その時々の流行りものに目が行き、気になります。

♪死ぬほど愛して - アリタ・ゲッリ
♪NEVER ON SUNDAY(日曜はダメよ)

 

私の一番泣いた日

随分前のことだが、ある総合雑誌の特別企画で「私の一番泣いた日」を題に一般読者の投稿を募集したことがあった。応募された作品の中から10篇が選ばれ掲載されたが、そのうちの1篇が今でも強く印象に残っている。

物語の作者は日本海沿いの地方都市で生まれ育った。大学生活を東京で送った後も郷里に戻らず、そのまま東京で職を得て家庭を持ち、今では二人の子持ちで都内の集合住宅で生活を送っている。常日頃、気がかりなのは、父親の死後も実家に一人住む母親のこと。 年始年末やお盆休みには必ず家族連れで帰郷することにしているが、その他にも、地元での同窓会や飲み会などの折り毎に、元気な顔を見せて親孝行の真似事をしている。ただ、母親との同居は、手狭な住宅や見知らぬ土地での生活環境から生じる諸問題を考えると無理だと思っている。また、母親も健気に強気に、一人暮らしは気ままで好いと言い、時々の電話でも私のことは心配するなと言っている。

数年後、母親の死後に独り帰郷し、今は誰も住まぬ実家の雨戸や窓を開け広げて座敷に風を入れ、簡単な拭き掃除をすませて畳みに寝転びながら、思い出しているのは、母親の亡くなる前年に家族と帰郷して過ごしたお盆休みのこと。 母親共々の墓参りやドライブに外食、海水浴と花火を楽しみ、何日か過ごして帰る日の朝、母親が野菜や米を車に積み込んだ後に、車の後部座席に座る二人の子供の顔を見詰めながら「そこに座って、オバアちゃんも一緒に行こうかな」と、おどけて言った。 作者は、母親の言葉を聞こえぬ振りをして実家を後にしたが、どうにも遣る瀬無く複雑な気持ちを抱えて東京に戻った。 作者は、その時に浮かべた母親の淋しそうな顔や心情を思いながら、駄々っ子のように身を揉んで大声で泣いたと。

この物語の作者も地方から出てきて都会で暮らし、故郷や親を思いながらも、どうにも変えることが出来ずに、現実と向き合い生きる、多くの同時代の仲間の一人だと思った。

♪Peppino Gagliardi 映画「ガラスの部屋」 che vuole questa musica stasera
♪Jane Birkin- Baby Alone in Babylone.

民主主義

人民による直接統治を掲げ、反欧米を声高に叫んで、一時は民族解放の革命家、アラブ世界の英雄の一人と崇められた、カダフィ政権が終焉を迎えた。 「アラブの春」で政権が崩壊した、チュニジア、エジプトに続いて、リビヤの民主化運動が、シリア、イエメン、バーレン、サウジアラビアなどへどの様に波及するのだろうか。
東西の冷戦の終焉と共に、アメリカは、彼らのリベラルな民主主義の国家理念が世界の最終的な価値であるように誇っていたが、そのアメリカのウオール街で湧起こった、行き過ぎた格差社会の是正を叫ぶ若者達の連鎖の声が、世界で最初に市民革命を起こしたイギリスを始め、ヨーロッパやカナダ、そして日本でも起こり始めた、もしかすると、今後の民主国家の大きな変革のうねりの胎動かも知れない、民主主義は今後どうなるのだろうか。

民主主義亡国論は、古くはプラトンの時代から言われていた、「自由と民主主義国家の国民は無限に近い要求を掲げる、しかし、国民の選んだ政治家が無限の要求を法で制定できるのか」と、確かにいつの時代にも国民は、少ない義務(税)で十分な社会保障を要求する。過去に、この際限のない要求に応えられたのは、大植民地帝国であった。では、植民地帝国の冨の独占を非難してきた社会主義国家は、植民地人民の生活を変えることができたのかといえば、社会主義国家も、解放という美名で搾取を行ってきたのだ。 少し前まで、社会主義を人類の希望と信じて、ソ連が理想の国家と思う人達がいた、現在でも社会主義の理想は正しいと思っている人達もいる、だが、統制国家は官僚体制が権力化して、官僚の独裁化による人民の隷属制がより強められ、軍事独裁国家と同様な体制になる。現在の社会主義国家は、今後はどの様に変わっていくのだろうか。

民主主義国家は、他を搾取することで成り立ってきた、この体制を維持してきた国は、七つの海を支配した国か広大な国土や地下資源を持つ国とグローバル化を唱えて経済や金融で他国を支配できた国に限られていた。 リビヤの民主化を支援したフランスには、リビヤの石油資源を狙う思惑が見え隠れするし、 TPPを強力に推し進めるアメリカの戦略には、大西洋で築いてきた国益をアジア太平洋諸国との協調を図り、今後の更なる国益を太平洋に追求する意図が伺える。 自由と民主主義と豊かな冨を謳歌してきたアメリカ、揺り篭から墓場までを保障してきたイギリス、ユーロ危機にあえぐヨーロッパ諸国、少子高齢化や年金問題に加え、原発問題を抱える日本、これらの国の国民は、貧しき民主主義を維持する強固な意識があるのだろうか、今後も他国を搾取することで、自国の繁栄の先延ばしをはかるのであろうか。

長引く暗愚の国内政治と世界同時不況の経済状況下の現在、生活保護の受給者が200万人を超え、年収200万円以下の人が1千万人を超えた。 若年労働者の3割が非正規雇用となり、多くの若者達が将来に夢を抱けず、親の世代以上の生活の豊かさを望むことを断念している。 希薄になっていく血縁や人間関係、断絶されるような社会との一体感や連帯感。 はたして、今後、経済が全てに優先するような社会の中で、美しい精神風土や文化意識を育むことが出来るのだろうか。

盛者必衰、歴史の中で様々の国が衰亡してきた、100年後の世界地図は、どの様に変わっているのだろう。

♪Hank Jones - Blue Minor
♪ALFIE'S THEME II

YouTube

恥ずかしながら、YouTubeの存在は、尖閣島事件が起きるまで名前すらも知らなかった。その後は時々、YouTubeを利用して昔懐かしい映像や音楽を見たり聴いたりして青春を回顧している。

最初に探したのは、贔屓のイタリアの映画監督、ズルニーニの作品の映像と主題曲、高校の1、2年頃、授業をサボッて、映画館の暗がりの片隅で後ろめたさと無頼で不良な気持ちを抱えて見たのが「鞄を持った女」や「激しい季節」。

「鞄を持った女」には、当時のイタリアの人気歌手ミーナの曲や当時流行ったサンレモ音楽祭のヒット曲が挿入曲として使われている、主演女優のクラウディア・カルディナーレは、大ヒットした「刑事」や「ブーベの恋人」などで日本でも大ブレイクしていた。 健康的で小麦色した肌と魅力的な肢体、彼女が肩をゆがめて重そうに提げ歩くトランクには、過去という名の彼女の人生が捨てようもなく詰まっている。

「激しい季節」の主演女優はエレオノーラ・ロッシ・ドラゴ、ダンスをする主人公に被さるように官能的なサックスの調べが流れる、高校の同級生に彼女の猛烈なファンがいたが、若者は臆しながらも完成された成熟な女性に惹かれるようだ。 ズルニーニの他の作品では、退廃的な中年教師をアラン・ドロンが演じた「高校教師」やマストロヤンニ主演の「家族日誌」などがある。

マリー・ラフォレやアンナ・カリーナが出演した「国境は燃えている」では、ラフォレが一度も笑顔を見せずに、淋しそうに浮かべる眼差しが印象的で記憶に残っている。 上記の女優達にジャンヌ・モローやモニカ・ヴィッティにメリナ・メルクリーニ、彼女達への共通する思いは、目くるめくような官能感とうだるような気怠さ、そして、麦秋や葉桜の季節に発散される狂喜の匂いだ。

YouTubeは、うずく様な青春の彷徨感や体に刺さったままの棘、後ろめたさと恥じらい。 帰らざる日々を想うキッカケになりそうだ。

♪Laforet,Higelin : St-Tropez blues
♪国境は燃えている
♪Estate Violenta(激しい季節)- Mario Nascimbene

生活と宗教

外国で、私は「無神論者です」や「信仰する宗教を持っていない」などと言うと、大変に驚かれる。 どうも、彼等の日常の生活規範は宗教に密接に基づいているようで、無宗教者は、何を規範に日々を律して暮らしているのか理解されないようだ。

確かに、一部の厳格なユダヤ教徒などは、宗教法が最優先されて、安息日は物の売買が禁止されているから、博物館は開いていても、当日に入場券を買うことが出来ない、 火も使えないのでタバコも吸えない、電気も点けたり消したり出来ない、など。ただ、この戒律を守るのは、神と契約をしている人だけなので、異教徒に代わりを頼んでの買い物や電気、火を点けてもらうのは構わないらしい。 初婚の女性の結婚式は水曜日、再婚の女性の結婚式は木曜日と、これも宗教法で決められている。

中世のキリスト教会も色々と細かく日常の生活を規制して、例えば、生殖目的以外の性行為は原則禁止で体位まで規定していた。 イスラム教も、今日現在のこの瞬間が大事で、水を沸かす行為も神の思し召しで湯に変わった、海を航行する船も神の思し召しで現在のこの位置にいると、過去の経緯より現在、今の瞬間の結果を尊ぶらしい。 いずれにせよ、唯一絶対神を崇める原理宗教主義者は、宗教法の原理原則を守るのが日常の生活規範らしい。

私も家の菩提寺に先祖代々からの墓があり、お盆やお彼岸には一応墓参りを欠かさないが、私自身は仏教徒としての自覚はほとんどないし、宗教との接点は仏壇の水換えや献花と大晦日に聞く除夜の鐘に初詣、そして時々の墓参り位か。 昔から私達がよく聞く、「世間の人に後ろ指をさされるな、世間の目が許さないぞ、家名を汚すな」などが、宗教法以上に私達に架せられた日常の行動規範だったと思う。

ニーチェが言った「神が死んだ」頃からの欧米文化の現在、急速な近代化による家文化や村落共同体の崩壊を招いた日本文化の現在、今、内外で時々起きる、 信じられないような事件は、現代社会の希薄な人間関係や共同の文化意識の低下が遠因なのだろうか。

♪Toto Cutugno - Il treno va
♪石川セリ 八月の濡れた砂
♪ヨコハマ・ホンキートンク・ブルース 石黒ケイ

生と死

生老病死、仏教で言う四苦。苦とは自己矛盾に近い意味だそうで、人は生まれた時から死が約束されている。

戦後、食料事情の安定と内容の変化、家庭電化製品の普及や住宅事情の改善での生活様式の向上、医療や福祉の急速な進歩や人々の健康志向からの寿命の伸びで、日本は今では世界でも有数の長寿国になった。 親の死んだ年に近づいた自分の余命を思うと、せいぜいあと10年、15年の人生、残された日々、せめて心許せる人と、本当に心地良く、正直に語りあう時間を共有したいと思う。

突然に大地震が起こった、世界の地震エネルギーの10%が集中している地震列島、日本。 過去に於いても、火山の噴火、台風、地震などの自然災害の猛威の前に、人間の営みのはかなさの歴史を痛切に重ねて、独自の世界観や人生観を構築した日本の文化、大自然の前では無力の死生観が全ての物に命が宿り、人々の信仰の対象になる。 明治以降、様々な西欧文化が流入したが、生けとし生けるもの全てに、神の存在を見る日本文化の中では、唯一絶対神の異文化が定着するのには限りがある。 人々を区別することなく、過去から繰り替えされる理不尽な自然の猛威、なすすべもなく、壊滅的な自然の仕打ちで、打撃を受けた被災地の人々が、感情を抑え、他人に気配りをしながら、自分を律して行動する姿に、海外メディアも賛辞を送った。 日本の精神風土の美しさやそこに住む人間の本性は、このような非常時に表れるのだろう。 被災地の人々からどのように生きるのか、せめて人間としての美しい矜持を何時も胸に持つことを教えられた。

♪Nat King Cole - Sayonara
♪七人の刑事~'62年レコード・オリジナルバージョン
♪Julie London - Boy on a dolphin

太陽考

「元始、女性は実に太陽であった」と、女性解放誌「青鞜」の冒頭を飾る言葉を書いたのは、女性解放や平和運動の活動家で同誌の発起人の一人、平塚らいてう。 彼女達の先導と啓蒙で広まった運動が、その後の女性の社会進出や地位向上に大きな影響を与えて、戦後すぐに獲得した女性の参政権や念願の売春禁止法の制定の時期を早めた。

小説「太陽の季節」を引っ下げて、華々しく戦後の文壇に登場したのが石原都知事。 同年代の作家の高橋和巳は「太陽の季節」の文学界新人賞や芥川賞の受賞に強烈な打撃を受けて自己嫌悪に落ち込み、 「同人仲間と同人誌で習練を重ねて、その資質を認められた者が先輩作家などからの推薦を得て作家デビューするのに」と、後年にその時の心情を述べた。 石原の作品は、その後に何作か映画化されたが、特に彼の弟、裕次郎の銀幕へのデビューが熱狂的に若者達に迎えられた。 裕次郎を真似た彼等は、慎太郎刈にアロハシャツ、細身のマンボズボンにコンビの靴などで街中を闊歩し、また、男女の社交場であるダンスホールに集い踊ったのが、当時世界的に流行ったジルバにマンボ。 評論家の大宅壮一は、その若者風俗を称して「太陽族」と造語した。

太陽を冠した映画も話題になった、邦画は、松竹ヌーベルバーグの代表作、大島渚の「太陽の墓場」、鬼才、川島雄三の「幕末太陽伝」。 洋画では、仏映画「太陽がいっぱい」に伊映画「太陽はひとりぼっち」が有名だ。原題に関係なくヒットを狙って、太陽を付けた題名の洋画が次々と公開された。 「太陽の下の18才、太陽は傷だらけ、太陽のはらわた、太陽は傷だらけ、太陽のかけら、太陽の誘惑」などなど。

生活の中で、日の出に手を合わせ、夕日に頭を下げる。太陽は、心に奥深く沁みこみ存在している。

♪サンライト ツイスト
♪太陽のかけら
♪太陽の誘惑
♪Sophia Loren Mambo Italiano

 

教育問題

昔の日本人の識字率は、世界でも驚く程に随分と高かったそうだ。江戸も後期になると侍の子供はもとより、裏長屋の住人でさえ子供が6歳位になると読み書き、算術を習わせに手習い塾(寺子屋)に通わせたらしい。基本の手習いだけでも年齢や程度に応じて教材は様々とあったようだ。本人の才覚も大事だが、今も昔も生活する上で、読み書き、十露盤は必須科目かもしれない。

敗戦後、教育制度が改められて、義務教育年数が現在の6、3制になった。それ以前の義務教育は小学校の6年のみであるが、家業や農繁期の手伝いなどで、満足に学校へ通えぬ生徒も多くいた。 貧しかったその時代に上級学校へ行ける者は、学力のほかに、その家庭が子供を上級学校へ通わせる経済力が必要だった。 能力があっても経済的な理由で進学を諦めた人達は、学歴だけで人の評価や社会的地位がきまるのは公正でないと「学歴主義の弊害」を訴えた。 当時、不満を持った人達の描く公正社会は、家の経済力に関係なく誰でも望めば能力に応じて上級学校への進学を挑戦でき、個人の努力と能力で社会的地位や収入が築くことができれば、学歴社会の歪みが解消すると考えたと思う。

日本経済の成長と共に、高校進学率が50年前は50%、45年前は70%に伸び、その頃まで、「落ちこぼれ」の言葉も無かったのだが、その後すぐに、進学率が義務教育並みとなり、教育政策が学校の新設や教員の増加に目を奪われ、「落ちこぼれ」や「受験戦争」などの対応が遅れたことが、教育問題や社会問題となって子供の心を蝕んだと思う。 現在は、本人が望めば能力次第で殆とんどの人が大学まで進学できる環境であるが、今の人には、違った意味での「社会の弊害」を感じていると思う。

階級化された社会や貧富の差で生じる就学や就職問題、そして、最大の問題は、若者が描けぬ明るく開けた将来への夢と希望だ。

♪ジプシーキングス - インスピレーション

憎悪と差別

黒船に象徴される欧米列強により、「開国と通商」を求められた徳川幕府は、外国の進んだ文化を手に入れることで、外国に負けない国作りをしようと開国に踏み切った。 明治維新が成立した後、明治政府は、国家戦略として、「富国強兵」と「脱亜入欧」を掲げ、国家体制や国民意識の成立を目指した。

欧米文化の流入は、当時の指導層、知識層、学校教育などにより、急速に浸透し広まった。 文化による変化は、学術や芸術は基より、日常の生活習慣や規範、美意識などに及び、特に知識人と呼ばれる層がキリスト教を基盤とした道徳や規範を積極的に取り入れて教宣した。 進取の文化の芸術運動が、若い知識人や学生を中心に高まりを見せ、新しい芸術文化として崇められ、もて囃された。 反面、少々軽んじられたのが、伝統的に受け継がれてきた日本的文化やそれに根ざした日々の社会規範であった。 例えば、キリスト教徒、北村透谷の聖書の翻訳から、新語として日本語に定着して使われたのが、「幸福、紳士、淑女、処女、接吻」などの言葉がある。また、文豪、森鴎外も、「日本人奇人論」などを著している。 長年続いた欧米文化への傾倒が、「欧米コンプレックス」を育み、現在でも欧米人的な顔立ちやスタイルが持て囃され、美の基準になるなど様々のところで、「外人コンプレックス」が顔を出す。

戦時中、「日本では、戦争相手を「鬼畜米英」と標語化したが、米国では、日本人を「出歯で、近視で、チビザル」と差別的に漫画や雑誌に描いた。 生物学者などは「現代に残る一種の奇形」、「あと、8センチ背が高かったら、日本人は真珠湾を攻撃しなかったろう」、「日本人の頭蓋骨は、我々より2000年位発達が遅れている」などと、論評した。これらの論評が、マッカーサーの「日本人12歳説」やルーズベルトの、「生物学的な遅れを取り戻すには、日本人は、他の人種と結婚すべき」などの言説の基になった。

日本人は「敵への憎悪」を言うが、米国人は、「人種的憎悪」を言う。 米国の一般庶民への無差別爆撃や原爆の投下は、憎悪を基にした異人種や異教徒に対する差別からではないか。 開国当初の原住インディアンへの殺戮に始まり、日本、ベトナム、そして中東でも。

♪アフリカの星のボレロ
♪褐色のブルース

 

善意と親切。

随分前に読んだ本の中に、大変に親切な老人がいて、冬に、あまりに寒かろうと、ヒヨコにお湯を飲ませて、ヒヨコを殺してしまった。 また、若い母親が、寒かろうと、自分の赤ん坊の寝ている保育器の中に懐炉を入れて、赤ん坊を殺してしまい、過失致死罪に問われた事件があった。 両方とも、全くの善意からであり、「日本人の親切とはこういうものだ」と書かれていた。おそらく、感情が、自分とヒヨコや赤ん坊と区別が付かない状態だったのだろう。

光化学スモッグの発生が騒がれ、自動車の排気ガスの公害問題が起きたときに、純粋に善意からの公害反対の立場で「即時に、全国の自動車工場の操業を止めろ」と、 横断幕を掲げ、声高に叫ぶ人達がいたが、よく考えれば、工場の操業を止めれば「公害」は減っても「公害問題」は解決しないし、 新たに、国の経済や自動車産業に従事する人達やその家族の生活の問題が生じる事になる。 だが、善意の人達の前で、問題点を指摘し議論をする人は少ないだろうし、マスコミも含めて、決定的な対決はなかなか見られない。

ビル爆破事件に遭遇した外国人記者の記事に「道路にけが人が倒れていても、傍観者が多くいた、ただ所々で、けが人を介抱している人達がいたが、調べてみると、 その人達は、けが人の会社の同僚や知人であった」と、書かれていた。

私達は、赤の他人には、知人と同様な親切が、なかなか出来ないのだろうか。善意や親切も難しい問題だ。

♪スウェーデンの城

大人になるとき

未開社会にあっては、大人と子供の区別がはっきりしている。イニシエーションの儀式を終えれば大人である。 日本でも昔、元服して名前も髪型を変えれば「今日から大人」と本人も自覚し、まわりも認めた。

私の時代も高校生くらいになると、まわりが認めなくても主観的には、大人になったと目覚めていたと思う。 同時に、文学や音楽、そして映像などの大量の文化が押し寄せて来た。津波のように。

高校一年のある日、音楽教師から素晴らしく素敵なトゥイスティング・ブルースの曲ですと、伊映画「太陽はひとりぼっち」の主題曲を何回も聴かされた。 ちょうどキネマ旬報上で、当時の新進映画評論家の荻昌弘さんがこの映画について「愛とは、AとBという主体が互いに意識し合うときに生ずるなにものかであり、 そしてテーマは、愛の不在である」と述べていた。

惹かれるように映画館に走った。そして、映画から感じたのは 「現代を生きる人たちは、魂の感動も未来の希望も無く、ただ体を摺り寄せて、一人ぼっちのむなしさの中に生きている」と。 映し出される風景や物体が、なんと無機的な透明度で渇き澄んで見えたことか!

原題は「日蝕」(L'eclipse)、それまでの映画が無数の「おはなし」で謳歌していた人間肯定とは違ったものだった。 この映画から私は強烈な一撃を受けた。そして、大人への第一歩を踏み出した。50年程前、高校進学率が50%、二人に一人が義務教育を終えると仕事についた、大人として。

♪Mina - L'eclipse twist(「太陽はひとりぼっち」主題曲)

民族とは、国家とは

チュニジアから始まった反政権デモは、エジプトに飛び火し、イエメンやヨルダンそして、リビヤなど、他の中東や北アフリカの国々に革命の連鎖が起きようとしている。

言語は民族の数と同じく存在するが、100年前には、約3,000語/民族と言われた。 現在は、少数民族が独立国家に吸収されることにより独自の文化や言語を失い、その結果、約1,000語/民族と言われている。 国連に承認されている国家数は192で、単一民族は地球上に殆んど存在していない。 アイヌは、国民としては日本人であるが、民族としては別民族である。

「民族=国家」というのが近代ナショナリズムの理想であるが、 新たに作られたアメリカ、イスラエル、シンガポールといった人工的な民族国家以外は地球上にほとんど存在しないし、未来を別にすれば歴史的には存在しない。

ただ、9.11以後、アメリカは、アメリカ人に民族としての共同の記憶と幻想を植えつけ、アメリカ民族を生み出した可能性はあるが。 アメリカは、日米戦争―帝国主義(間)戦争に勝利し、また、20世紀後半には、共産主義国との冷戦にも勝った。 それゆえ、あたかもアメリカのリベラルな民主主義の国家理念が世界で唯一の文明の最終的な価値であるかのように、一瞬、世界に感ぜられたが、 歴史は終わらず、1989年のベルリンの壁の崩壊後、冷戦構造の解体と共に、世界の各国が「自分の国とは何か」という「国のアイデンティティの再構築」が浮上してきている。

イラン、イラク、アフガンやクルド民族などを含めて、中東、北アフリカが熱く動き始めたようだ。

♪Andremo in Citta(邦題:悲しみは星影とともに)

♪パリは燃えているか

川柳

24年目を迎えた、サラリーマン川柳への投句者は年々増えて、今年は、応募総数が26,000句を超えたそうだ。 多くの句が皮肉と諧謔と共に政治、世相を鋭く切り込んで詠まれている。

江戸時代中期に、柄井川柳が点者になり「前句付け短詩」の興行を起こした。14字の前句に対して、17字の付句に点料(金)を添え堤出する。 点者は、応募句の内容により三種に分類して、それぞれに、「天、地、人」の当選句を選び「勝句」と称して、晒し布などの賞品を与えた。 また、点者は、勝句を含めて、多数の句を一枚摺りにして売り出し好評を博した。 投句者や川柳好きの人達は、それを買い求めて読み合い、吟味し、批評し、鑑賞した。

故事や歴史を題材にしたものを「高番句」、日常の情景や出来事を表現したものを「中番句」、 ふしだらな下世話な話題や艶笑ごとを詠んだのが「末番句、または、破礼句(バレク)」と呼んだが、人々に愛読されて、一番の人気が破礼句だった。 柄井川柳の「前句付川柳点万句合わせ」が大評判になり、前句付短詩は、「川柳」と呼称され、総称になった。最盛期には、一回に20,000句を超える句が応募されたという。 例えば、14字の前句には、「すすめこそすれ すすめこそすれ、われもわれもと われもわれもと、おかしかりけり おかしかりけり」などがある。 投句者は、題材の前句に対して、付句を詠む。

当時、勝句に選ばれ評判になり、人々の口伝えに広まって、今に残る中番句には、「色男金と力はなかりけり、寝ていても団扇の動く親心、孝行のしたい時分に親はなし、 這えば立て立てば歩めの親心、女房の妬くほど亭主もてもせず」などがある、これの句は、現代の芥川賞や直木賞なみに世間の人に持て囃されたそうだ。 今でも変わらないが、当時の社会問題は、「貧、病、争」。人々も身に詰まされて読んだ句が、「泣く子より哀れ捨て子の笑い声、南無女房乳を飲ませに化けてこい、 これ小判立った一晩いてくれろ」など。

勝句や選句されて一枚摺りに載った末番句(破礼句)を囲んで川柳好きは、句の意味や情景を語り合い、解釈しながら大いに笑い楽しんだようだ。 私達が破礼句を理解するには、下世話で艶笑的な知識や経験を求められる。 例えば、「芳町は和尚をおぶい後家を抱き」だが、芳町の事を知らないと判らない、当時の日本橋芳町は陰間茶屋(14、5才の男性が相手をした)で有名だった、 余談だが、膝栗毛のヤジさんとキタさんは、陰間茶屋で馴染みになったと記してある。「だあれにも言いなさんなと数珠を置き」の情景は、相当の想像力が必要だ。 江戸の昔、人々は、知的な娯楽として、川柳を楽しんだのだろう。

♪CARMELO _ZAPPULLA_AMAMI ANCORA UNA VOLTA

母系と父系

西欧社会は、父権社会とか、家父長社会とかいわれ、父親が家庭では絶対的な位置を占めている。父親が中心になり、其の権威で家族をまとめる。 母親の存在は副次的であり、母親の役割よりも、女として、父親(夫)に尽くすことを求められる。 精神分析学でよく聞く、男の子が父親をライバル視する、エディプス・コンプレックスや女の子が母親をライバル視する、エレクトラ・コンプレックス、 そしてキリスト教文化を規範とする道徳観や性の抑圧からの精神的葛藤を起因とする、母親の神経症などは、西欧社会特有の問題だと思う。

日本は、基本的に母系社会であり、建前や表向きは、一応父親を立てながらも実質的なまとめ役は母親で、父親も大きな子供と言われている。 昔から、母親(女房)は山の神と呼ばれ、父親(亭主)も家の神さんと言っている。 天照オオミノ神も女性であり、邪馬台国の女王卑弥呼も女性である。古い時代には、男性が女性の家に通う「通い婚」の風習があった(子供は女性の男兄弟に扶養された)。 古くから、儒教が日本社会に紹介され、江戸時代には道徳の規範になったが、明治を迎えると積極的に西欧文化を導入したので、表層的には家父長制度が定着したように見えるが、 内実は、今に続く母親中心の社会である。

西欧の母親の位置が、早めの母親の子離れをうながし、日本の母親の位置が、何時までも子離れできぬ母親を産むのだろうが。 子供にとっては、どちらの母親が望ましいのだろう。

♪初恋のブルース

♪Premier Bal Bechet Sidney 1958

2.26事件

少し前の新聞に「2.26事件で新たな遺書」という見出しの記事が載っていた。 一部の陸軍青年将校を中心に、「昭和維新」を掲げて1936年の2月26日に起こしたクーデター「2.26事件」で、 収監された13人の将校が看守に宛てた遺書が新たに見つかり、公開されたという。

又、評論家の松本健一氏の話として「看守は、将校達が自分たちの貧困や不平等を救おうとした者と映り、心を通じ合わせたのだろう」と書かれていた。 この事件の背景には、昭和恐慌不況や軍備費の増加による経済の疲弊、そして、追い討ちをかけるように起きた冷害による農村の打撃。 農村の娘さんの中には、家や田畑を救うために、身を売る者も多くでて、この人身売買は大きな社会問題になった。

2.26事件は、現在、中東やアフリカで起きている、政治、統治体制を変えるためのクーデターとは大きく異なる。 青年将校やそれに同調した下級兵士は、天皇を取り巻く君側の奸(軍閥、財閥、政党、官僚)を取り除けば、 世にはこびる腐敗・貧困・差別などを消滅させることが出来ると信じて決起した。 悪いのは君側の奸であり、それを払拭すれば、現体制を破壊することなく、絶対神の大御心が多くの国民を救ってくれるだろうと。

結果は、「天皇は神聖にして犯すべからず」を信じた彼等と天皇の間に、越し難い溝があったのだ。 社会民主主義者・浪漫的革命家・右翼思想家などと言われた北一輝は、危険思想人物及び2.26事件に連座したとして処刑された。 北は「天皇のための国民」ではなく「国民のための天皇」を叫んで、権力体制に睨まれたのだ。 若き日に、北は「先ず目覚めて叫ぶ者、世は彼を獄門に晒す」と、謳った。

♪Billie Holiday - As Time Goes By

宗教とは

イスラム教徒やユダヤ教徒から見た日本人は、キリスト教徒だと思っても不思議はない、 日曜日には仕事を休み、キリスト教紀元やキリスト教暦を使い、クリスマスを楽しみ、なかには、結婚式を教会で上げる人達もいると。

だが、私を含め平均的な日本人は、墓参りに菩提寺に行き、初詣では神社で柏手を打ち、厳かな日の出や落日に頭をたれる。 おそらく、一つの宗教を日常の生活規範にしている彼等には、到底、そんな無宗教的な我々の生活は理解できないと思う。

少し前だが、アメリカの女性議員が進化論を信じていないと言ったが、本当に彼女は、そう信じているのか。 または、政治的に無視できないアメリカ南部の大票田、南部バプテストの宗教団体を意識した発言なのか判らないが。

確かに、いまだに、教会の説教で、人類の歴史をアダムから数えて六千何百年とか、月の岩石の古さもその年代以内のはずだと言い、 州法に反するので学校で進化論を教えるのを禁ずるなど、聖書絶対主義が通用する地域が現在のアメリカに存在するのである。

過去にも、高校で進化論を教えた教師を裁判にかけた「進化論裁判」が有名である。 ジミー・カーター大統領もこの宗派であり、解放運動で名高い、キング牧師も南部バプテストの牧師であった。 この宗派は、教会への政治干渉は許さない強力な保守的プロテスタントの一派である。

我々には、理解できない彼等の教義だが、彼等にとっては、聖書が絶対であるという。 どうしても譲れぬ何百年も続いた宗教改革の原理なのだろう。

彼等から見た私達の宗教観は、到底理解出来ない不思議な人種だと思うだろう。

♪Katie Melua - I Put A Spell On You

♪Screamin' Jay Hawkins, I Put a Spell on You

 

日本とアメリカ

私くらいに歳を重ねた平均的日本人の想像する「日本的原風景」とは、白い砂浜に緑の松原と青く耀く海の上に浮かぶ白い帆、そして、遠くに霞む山々… まるで、安っぽい銭湯のタイル画だが、強く反対する人はあまりいないと思う。頑迷な父親と何時も励ましと陰で味方をしてくれる母親と同様に。

アメリカの故レーガン大統領が好きだったドラマ「大草原の小さな家」は、彼の世代に共通な「アメリカ的原風景」らしい。強く逞しい父親、慈悲深く、優しさと信仰心の厚い母親。 遠く、祖先の開拓時代に、思いを馳せるのだろう。

山本七平氏は、1980年頃「戦後30年のアメリカ」というビデオを見た時に、不思議な感想を持ったという。 というのは、誰一人、社会を悪くしようと思っているわけでなく、人々のスローガンは全て立派であり、平和、人道、博愛、反戦、人間の権利、差別撤廃、最低賃金制の確立、 社会保障の充実を常に口にされて、しかもある意味では、確かにその一つひとつが達成されながら、一方では、ぐんぐんと社会が悪化していく。なぜか、ビデオは、それを問いかけながら、 回答は提示されない。 彼の考えの結論は、社会を良くしよう、良くしようという努力が全て裏目に出て、その度に、社会が崩壊していった、社会的な母性が失われていった、と。

人々が心の満足や充足を失い、精神的におかしくなり、児童虐待などが大幅に増え、育児を喜びと誇りとすることで保たれてきた「母」という位置があいまいになり消えてしまった。 児童施設も増え、ボランティアとして熱心に働いてくれる人も沢山いるのに。 自然を尊重せよというなら、先ず人間であり、ことによったら、問題は、「人間の内なる自然の破壊」だったのではないか。

今、日本でも信じられないような凶悪な事件が増えている、彼が存命なら「犯罪までもアメリカに追従するのか」と、言うかもしれない。

♪Jeanne Moreau - Le Tourbillon De La Vie (in Jules et Jim)

 

錯覚

私達は、主観的には歳をとらないので、何時も、自分達の世代を中心に世界が廻っていると思ってしまう。客観的には十分に中高年なのに…

体が健康なのは勿論、心が若い方が元気な源なのだろう。街中や観光地などで元気な中高年女性の姿が多く見られる。 韓流ドラマのファンも彼女達が主流なのだという。多分に想像するには、すれ違いや片思い、政略結婚と嫁いじめなど昔風メロドラマの主題が盛りだくさんなのだろう。 ロケ地選びも女性の人気スポットや観光名所だと思う。 人間、夢見る動物だから、女性達は、想像の中で韓流スターと恋愛をしているに違いない。 子供の頃、紡いだ貴種流離譚物語(何時か、素敵で裕福な本当の両親が迎えにくる)などのように…

日本のマスコミは、まことに変な新語を作り、その新語である世代やグループを一括りしてしまう。 最近、よく耳にするのは「老害」で、公害に結びつく造語からか、まるで、あらゆる場所より老人を追い出せば、 世の中の暗い諸問題、年金、雇用、福祉、看護、医療などが一挙に解決するような錯覚を起こさせる。

昔の労働歌ではないが「立て、日本の中高年」と、男性は、何歳になっても不良で無頼に生きようぜ、女性は、いつまでも騒々しく、逞しく、元気に恋でもして下さい。

♪Alain Delon - Leticia 1967

 

故郷

若い頃、気持ちの内に、故郷と一度は決別したつもりで「故郷は遠くにありて、思うものよ」とか、「石持て追われる如く出てきたのさ」とかを、周りの人に、強がったり、嘯いたりしていた人が、歳を重ねるにつれ、「故郷を廻る六部は気の弱り」と昔の人の言うように、子供頃から慣れ親しんだ生まれ故郷の風景や旧友を、懐かしく思い起こし、また、自然に、郷土出身のスポーツ選手やチームを応援したりしている。 唱歌「故郷」などは、聞く度、歌う度に何となく涙腺が潤んできたりする。

芥川龍之介は、萩原朔太郎の「郷土望郷詩」を読み、「読んでゆくうちに、やみがたい悲痛の感動が湧きあがってきて、心緒の興奮をおさえることができなくなった」と、ある朝、朔太郎の家へ寝巻き姿のまま現れたそうだ。この朝のことを、朔太郎は「芥川龍之介の死」と題する追悼記に書いている。

朔太郎の詩から受ける二重の意味は、「私につれない故郷」と「郷土、私の懐かしい山河」と言った矛盾、我々にとっても、それは矛盾ではなく、近代の意識の運命的な在り方かもしれない。 母は、私が42歳のときに死んだ、残っている写真の数も少ない、私と一緒の写真は、わずか2,3枚である。母が死んだ時、「これで、もう帰る場所が無くなった」という、強烈な故郷の喪失感を味わった覚えがある。 随分前に、あるテレビ番組で司会者が、100歳の女性に「今、誰に一番会いたいですか」と尋ねた、女性は、「もう一度、母ちゃんに会いたい」と、女性は、10歳の頃から奉公にでて、そのまま、一緒の生活叶わなかったようである。 何歳になっても、母親は、故郷なのだろうか。

♪鞄を持った女のブルース

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