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2012年2月

これぞシャンソン

 シャンソン愛好歴は長いのにジャン・フェラの歌を知ったのは恥ずかしながら、ごく最近だ。ジョエル・ダル編「Partager la chanson française」を通してだった。

 この本はフランスを代表する100曲の歌詞を載せているのだが、フェラの歌は、「Ne me quitte pas(行かないで)」のジャック・ブレルの6曲に次いで多く、5曲が紹介。シャルル・アズナブール、セルジュ・ゲンズブール、エディット・ピアフらの4曲よりも多い。

 まず「C'est beau la vie」。映画「しあわせの雨傘」でカトリーヌ・ドゥヌーブが歌っている、あの歌だ。ほかに「La montagne(ふるさとの山)」や「Nuit et brouillard(夜と霧)」なども載っている。

 ジャン・フェラは1930年12月26日生まれ。2010年3月13日、79歳で亡くなったが、その時のパリ発共同電によれば「パリ近郊のユダヤ人家庭に生まれ、父親をナチスの強制収容所で失う。50年代にパリの酒場などで歌い始め、64年の『ふるさとの山』などがヒット…少年時代にナチスから自分を救ってくれたフランス共産党のシンパとなり、60-70年代には政府を批判した政治的な歌も多い」という。

 そんなフェラが亡くなった時には、政治的に対極にあったと思われるサルコジ大統領さえ、フェラを追悼する声明を発表している。ラジオ・フランス・アンテルナショナルによると、大統領は彼の歌は「まぎれもなくフランスのシャンソン」と語った、という。

 例えば「ふるさとの山」は、みんな都会にあこがれ出て行ってしまうが、山がどんなに美しく、生活がどんなに素晴らしいかを歌っている。声はイブ・モンタンやゲンズブールにも似ているが、もっと野太いのに優しく、通る声と言ったらいいのだろうか。と、言い始めたところで気が付いた。ファンは多いのだし、歌はYouTubeなりで聞いてもらえば、すぐ分かる。野暮な解釈の押し売りはやめたほうがいいようだ。

 ただ、ひとり飲みながら、しみじみ聞くのに適した歌だとだけは言っておきたい。

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国定忠治とは

 高橋敏著「国定忠治」(岩波新書)を通勤の電車を利用し、読んでいる。2000年に第1刷が出ているのに今ごろ、読むのにはわけがある。国定忠治は幕末、赤城の山に籠った侠客だが、歌「赤城の子守唄」や浪曲「明月赤城山」を通してくらいしか知らないので、あるところを訪ねる前、もう少し詳しくなっておきたいからだ。

 昨年秋、群馬の温泉に向かう途中、空き時間を利用して、母の実家がある大間々町(現みどり市)で電車を降りた。小学校低学年のころまで、母に連れられ、町のメーンストリートで山車行列をよく見た。当時でさえ、古めかしいと思っていた街はほぼ記憶通りに存在していた。が、今は観光地になってもいるのだろう、地図を手にした女性グループ何組かとすれちがった。街並みも少し違っていた。

 確か、この辺に親類の営む薬局があったはず。立ち話中の男の人に聞いた。すると、「今はないけど、前はここにあった」と案内してくれただけでない。彼は地元で何代か続く床屋をやっており、「国定忠治も来ていた」と言うではないか。すごいと思ったものの、その時は時間がなかったので、ほとんど話はしてない。が、だだっ広い室内に黒い椅子が何台か置いてあり、床屋談義もできそうな場のある、いかにも雰囲気のある店だった。忠治本の存在はその直後に知り、注文して購入した。

 本の著者、高橋は他にも忠治ものや清水次郎長ものを出している本格的研究者だ。高橋によれば、「お上に徹底抗戦した」忠治は「お上との調和に努め、ハッピーエンドの生涯をまっとうした博徒、清水次郎長」と「対照的である」という。また、さまざまな資料を基にして「忠治捕縛は天保14年、老中水野忠邦からの命令による」、忠治の刑場送りは「警備するもの二百余人」などと書いている。

 忠治とは?時代は?お尋ね者でありながら、いかに勢力拡大を図ったのか?生活範囲は?など、もっと知った上であの床屋さんをもう一度訪ねてみようと考えている。

「女ひとりの巴里ぐらし」

 元シャンソン界の大御所、石井好子著「女ひとりの巴里ぐらし」を本屋で見つけた。1950年代、パリ・モンマルトルのキャバレー「ナチュリスト」でトップ歌手を務めていた時の記録である。古本ではない。当時、単行本として発売され、昨年11月、あらためて河出書房新社から文庫本として出版された。おかげで、その存在を知ったのだ。

 石井は1922年生まれ。東京芸大でドイツ歌曲を学んだ後、米国留学を経てフランスに渡り、シャンソン歌手としてデビュー。53年から1年間、ナチュリストで働いた。単行本で出た当時の序文で、三島由紀夫は次のように書いている。

「好子さんは自分のことを書くと、心のやさしい普通のお嬢さんにすぎないが、人のことを書くと、自分でも「意地悪」と言っているように、素晴らしい描写の才を発揮する」

 なるほど、彼女を含め女4人、男4人のアルティスト仲間の人間性、生活ぶり、絡み合いが生々しく描かれている。15人の踊り子、15人のマヌカン、キャバレー経営者夫婦、衣装係、切符係らについても同様で、ミュージック・ホール全盛時代の華々しい舞台の裏側をのぞくことができる。

 本にはイブ・モンタンやエディット・ピアフ、ジュリエット・グレコ、ジョセフィン・ベーカー、ティノ・ロッシらも登場する。いち早く来日した大の日本ファン、ダミアとの交流部分は圧巻だ。石井の舞台を見に来た日本人の名前も挙げられている。三益愛子、川口松太郎、小林秀雄、火野葦平…と、そうそうたる顔ぶれだ。本は久々に一気に読み終えた。

 わが尊敬するフランス文学者鹿島茂氏は解説で「『女ひとりの巴里ぐらし』は読んでおもしろいだけでなく、最高の歴史的ドキュマンとなっているのである」と書いている。

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